クライストチャーチとネイピアで日本を想う

私は2月に日本からニュージーランドに再訪するにあたって、最初の街にクライストチャーチを選んだ。理由は2011年2月21日、そこで巨大地震があったからである。日本に居た時に東日本大震災のことがトラウマになっていて、それから自分の旅の目的に災害地を訪ねることが私の行動を決定する要素の一つになってしまったのだ。
大げさに言うと、2011年3月11日の東日本大震災がなければ、もしかすると私はニュージーランドにも来ていなかったのかもしれない。今回も何となく行かずにはいられなかった。

東日本大震災で祖母の出身である岩手の宮古市が被害にあったことはもっとも大きい理由だった。祖母の家は一階がほぼ浸水してしまい。住める家ではなくなった。同時に家業にも影響があった、家業は網元*だったために、仕事がなくなることは同時に人同士のつながりも失うことだった。
網元*:漁網や漁船を持ち、多くの漁師を雇って漁業をいとなむ者
その他、宮古市では県外からの流入者はたいてい戻ってこなかった。市役所職員、教員、病院勤務の人はたいてい宮古市から移住してしまった。

クライストチャーチとネイピアは地震があったものの、津波の被害からは逃れていた。それでも今も、傷跡は残されている。


クライストチャーチにある「紙の大聖堂」
1931年ホークスベイ地震の被害と復興


この資料によるとネイピアではマグニチュード7強の直下型地震があり、建物も根こそぎ壊されたようだ。市街地では落下物によってなくなった人は多かったと書かれている。

クライストチャーチ行きを優先して行かなかったことを後悔しているのだが、ネイピアでは毎年2月にアールデコフェスティバルを開いている。そのお祭りは地震の後に始まっていて、参加者の一部が1930年台の服をまとい、クラシックカーに乗ってくるようだ。

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